アゲイン
子を法師に

ある人が、子を法師にして、「学問をして因果応報の道理をも知り、仏教の道理を説いて聞かせるなどして生活する手だてにもしなさい」と言ったところ、教えとおりに説教師になるために、まず馬に乗ることを習ったそうだ。輿や牛車は持たない自分が、法事の際に導師として招かれるようなとき、馬などを迎えによこしたような場合に、桃の実のような馬の鞍に座りにくい尻で馬から落ちてしまうとしたら情けないことだろうと思ったのだった。次に法事の後、酒などをすすめるとこがあるような場合に、法師が全く無芸なのは、施主が興ざめに思うに違いないと思って、早歌というものを習った。二つの技芸が次第に熟練の域に入ってきたのでますます上手にしたいと思われて稽古をしていたうちに、説教を習うはずの時間がなくて年をとってしまったそうだ。

この法師だけでもなく、世間の人々には一般にこういうことがある。

若いうちはさまざまなことに関して立身出世し、大きな専門の道を成し遂げ、技芸をも身につけ、学問をもしようと将来永きにわたって計画するいろいろなことを心にはかけながら、一生をまだ先は長いとのんびり思ってつい怠けては、まず直面している目の前のことにだけ気を取られ計画したことをわすれて、月日を送ると、どれも成し遂げずに身は老いてしまう。
結局その道の名人にもならず、思ったように立身出世もしない。
後悔しても取り返しのつく年齢ではないので、走って坂を下る輪のように衰えてゆく。

だから一生のうち主としてこうありたいと思うようなことの中で、どれが勝っているかとよく思い比べて第一に大事なことを考え定めて、その他は断念してひとつのことを努めるべきである。

“例えばセックスをしているときに今いきなり歌を歌ったらどうなるだろうとおもったりすることがある。そういうことは他のことでも考える。バイト中に今持っている水の入ったグラスを全部床に落とすとどうなるんだろうとか、人ごみの真ん中で突然叫び出したらどうなるんだろうとか。だいたいのことの予想はつく。セックスしながら歌を歌ったら相手がセックスに集中出来なくて怒るか、あるいは意味不明の行動にただ困惑する。それは相手の関係性にもよるとおもう。水の入ったグラスを全部床に落とすとグラスは割れて水はこぼれる。グラスを片付けて濡れた床を拭く必要がある。場合によればものすごく怒られるかもしれない。誰かの服を濡らしてしまうかもしれない。人ごみの真ん中で突然叫び出したら人は驚く。変な人なのだろうとおもわれる。自分のまわりから人がいなくなるかもしれない。そして恥ずかしくなる。そこで自分に理性があったことを感じる。今までそれをしなかった理由を知る。”

東京

「東京は毎晩パーティが開かれてみんなはお酒とタバコのけむり、おどり狂って浮かれて大騒ぎ、ネオンとフラッシュ大きな声とかっこいい男の子、かわいい女の子がキスして宝石のたくさん散りばめられたネックレスの留め金は外れて散り散り、とてもきれい、でも誰も気にしないのだ
そこは熱気と渦と誰もちゃんとめを開けていない人間達の場所だ


でも家に帰ったら壊れちゃったネックレスにボロボロドレスできっと無性にさみしくなって公務員か銀行勤めの彼氏を呼びつけておんおん泣くのだ
彼氏に麦茶ついでもらっておいしいねっていってそのまま寝るのだ」